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今回のGUEST 山口絵理子氏 マザーハウス代表取締役社長 兼 デザイナー アジア最貧国の1つ、バングラデシュ発の高品質のバッグを製造・販売するマザーハウス。設立は2006年。東京都台東区入谷の1店舗からスタートし、2013年現在、国内12店舗、台湾4店舗で展開し、バングラデシュの工場も合わせると、国を超えた約200人の組織に成長した。 同社は、高級ブランド店がウィンドーを並べる大手百貨店にも出店している。出店当初は苦戦したものの、スタッフ一人ひとりが来店客の声を聞き、試行錯誤して工夫を重ね、いつしかトップに立った。 バングラデシュの製造工場でも、毎夜、ベンガル人たちが侃々諤々の議論を重ねる。「ここがダメ」「もっとこうすべき」と。それが功を奏して、設立当初はほとんどの商品にダメ出しをしていたが、今や現地人による検品がほぼ可能なレベルまでこぎつけた。 熱くて結びつきが強く、高い成果を生み出す「チーム」がここにある。なぜ、このようなチームになりえたのか。日本ラグビーフットボール協会・中竹竜二氏が、同社代表取締役社長・山口絵理子氏に聞いた。 山口絵理子氏 Yamaguchi Eriko_慶應義塾大学総合政策学部在学中、米国ワシントン・米州開発銀行でインターンを経験。政府の開発支援に違和感を抱き、バングラデシュへ。バングラデシュBRAC大学院開発学部修士課程に入学後、日本の商社にてダッカ事務所でインターンとして働く。ジュート(麻の一種)という素材と出合い、2006年にマザーハウスを設立、バッグなどの製造・販売を開始。「フジサンケイ女性起業家支援プロジェクト2006」最優秀賞受賞。「Young Global Leaders 2008」選出。著書に『裸でも生きる――25歳女性起業家の号泣戦記』『裸でも生きる2 Keep Walking私は歩き続ける』『自分思考』(以上、講談社)がある。 ■ 計画性なく出発した会社が、今や200人を超えた 中竹 マザーハウスの成長の軌跡を見ていると、最初から組織をどれくらいまで大きくして、こういう人を採用して、と計画していたわけではないようです。気づいたら、周りに人が集まっていたというのが正しいですよね。 山口 設立当初は、家族がメンバーでしたからほんの数人です。計画性はまったくなかったのですが、事業を走らせるうちに、国内70人、バングラデシュで110人、台湾で25人と、約200人の組織になっていました。 中竹 「マネジメント」という意識がまったくなかったということですが、それはある意味、貴重なリーダーシップです。なぜこんなふうに人が集まって、200人の組織になったのでしょうか。「途上国から世界に通用するブランドをつくる」というビジョンが人を結びつけているのでしょうか。 山口 確かに、このビジョンには私の経験や思いが詰まっています。バングラデシュに渡り、そこで厳しい現実を目の当たりにしました。組織力を持たない自分に変えられることは、ほんの小さなことでした。それでも、現地の素材と技術を使った高品質のプロダクトをつくることによって、付加価値の高いものを求めて訪れる人が増え、途上国に経済構造の変化が起きる日が来れば――そう願って設立したのがマザーハウスです。この私の思いを、強くメンバーたちにも発信しています。 でも、会社のみんなが、途上国に対して私と同じくらい思いが強いかというとそうではありません。たとえば、副社長の山崎大祐は、この会社が本気で社会を変えられると信じて大企業を辞めてうちに来てくれました。そして、新しいことに挑戦したくて入社した人もいます。そういうふうに志向は違っていても、「何のために働いているのか」は根底でつながっています。社会に対して、自分らしい強みや方法で何らかの貢献をしたいという人が集まっているのだと思います。 ■ どんなにキャリアがあっても「現場」からスタート 中竹 でも、マザーハウスにはメディアを見て、単なる憧れで入ってくる人もいるでしょう。そういう人たちをどうやって見極めているんですか。 山口 最初は、ほとんど「憧れ」という人が多いです(笑)。でも、拒否するのではなく、きちんと理解してもらおうと思っています。入社後は例えばまず、倉庫で検品してもらったり、店舗での経験を重視しています。私たちはあくまで小売り。1個1個、商品をきちんと見てもらって、クオリティの高いものをどうやってつくるのかを知ってもらいます。 そして、どんなにキャリアがあっても、「現場」つまりお店からのスタートです。事務所勤務も、駐在員も、どんな仕事でもまず、お店で店長を目指してもらいます。「社会に貢献する」ことは大事ですが、頭でっかちではダメ。小売りは現場で売ってこその事業ですから。お給料もお店で働くスタッフがいちばんもらえる仕組みにしています。 ■ 突きつけられた「社員が辞めるのは社長の責任」という現実 中竹 「現場第一」という一貫性があるからこそ、順調に組織が大きくなっていったんですね。 山口 いえ、決して順調なときばかりではなかったんです。起業して2年目、3年目のころ、次々と人が辞めていきました。そのとき、ある社員から、「あなたが社長だから人が辞めていくんです」と書かれた手紙をもらって……。「うまくいかないのは、社長である私の責任」だと、客観的に突きつけられたのです。それまでは、会社を軌道に乗せることに必死で周囲が何も見えていませんでした。 中竹 そのとき、どうしたんですか? 山口 スタッフみんなに、私のいやなところをノートに書いてもらいました。そしたら、出てくる、出てくる(笑)。それまでは私が頑張れるんだから、みんなも同じように頑張れると思っていました。でも、アフターファイブを大事にしたい人など、自分以外の価値観を持つ人がいることを実感したんです。私の価値観を押し付けるのではなく、それぞれの価値観を認めなければ人が楽しく働けない、と。そのノートは今も家に取ってあります。 中竹 多くのリーダーは、部下に「あなたのせいだ」と言われても無視したり、相手が悪いと受け流したりします。「自分の悪いところを書いて」とは言えません。 山口 もともとは「こうあるべき」というプライドがないからでしょう。大きな企業で働いた経験がありませんから、「社長」がどんな存在か知らなかったんです。だから起こったことに対して、真摯に向き合って、手探りで自分のあり方を見つけていくしかありませんでした。 ■「自分にできるのはほんの1%」という気づき 中竹 そうやっていくうちに、マネジメントが楽しくなってきましたか。 山口 ぜんぜん(笑)。どうにかしてマネジメントに携わる時間を縮めたいと思っていました。人それぞれの価値観は認めてはいましたが、やはりどこかで自分が走れば走るほど会社が大きくなると考えていました。 でも、今はようやく楽しくなりました。その理由は、人が育ってきたからです。信頼できる人に任せれば、基本的にうまくいくんです。 中竹 マネジメントがつらかったときの自分に何か言うとしたら? 山口 自分にできるのはほんの1%。残りほとんどはみんなの力がなければ成し遂げられないということに、早く気付け、ということでしょうか。自分でやったほうが3倍速いし、質も高い。でも、時間がないから、仕方なく任せている――そんなひどい人間でした。それが間違いだとわかったのは、人が育って、お店のことは店舗統括に、生産効率のことは工場長に聞いたほうがずっとよく知っているし、うまく対処してくれるとわかったから。だったら自分が出ないほうがいいと、心からそう思えました。 ■「正解」を知らないから、全員で学びながら走る! 中竹 山口さんは、いつも走りながら失敗して、学んで、それを活かして、ということを繰り返しています。 山口 さっきも言いましたが、私はビジネスにおける「正解」を知らずに起業しました。それがよかったのかもしれません。私と同じ時期に起業して、残念ながらうまくいかなかった人たちには理想とする正解があって、そこまで届かないから、自分はダメだ、自分の会社もダメだと結論付ける。 私たちにはいつも目標はあるけれど、そこに初めは届かなくて当たり前、と思っています。なぜ届かないか考えて、できるだけ早く軌道修正をして。その繰り返しで、私たちなりの「正解」にたどり着いて、事業を拡大してきました。百貨店で最初は成績が悪くても、どんどん売り上げが上がっていくのは、スタッフ全員がお客さまを見て、軌道修正しているからでしょうね。 中竹 会社全体として学ぶ姿勢を持っているのがすごい。トップである山口さんの姿勢が、伝播しているのかもしれません。 山口 全員が、自分たちは何も知らないと思っているから、みんなで学び合って、学んだことを共有して。私たちも発展途上なのです。 中竹 ほかの会社には、自分たちは何でも知っていると思っている人たちもいます。 山口 確かに、大企業から転職してきた社員にはそういう人もいて、うまくいかない場合があります。あくまで、私たちは新しいことをやっている、モデルがないからやってみなければわからない、というスタンスを保てるかどうかが重要です。 ■ バングラデシュの工場でも、自発的に夜遅くまで「振り返り」 中竹 それは、海外でも同じですか。 山口 たとえばバングラデシュの工場はすごいですね。出荷後のミーティングは特に、ベンガル語でワーワー(笑)。「ここの作業が甘かった」とか、「ここのプロセスが遅い」とか。終業時間は20時ですが、22時になることも。それが今、毎日になってしまって、経営者としては困っているくらいです。彼らは確かに失敗するんですが、そこで振り返ってみて、ただでは起きない、何か拾ってから次にいこう、という精神がそこにあります。 中竹 国を超えても、同じ精神を持つチームとして機能しているんですね。 山口 そこは、「見える化」の力かもしれません。いいものをつくって、出荷すれば評価される。それが実感できない工場が、世の中の99%ではないでしょうか。いくつかのテーブルに分かれて作業するんですが、それぞれのテーブルがどれだけ頑張ったかグラフ化しています。振り返りと学び、そして評価をしっかりつなげているんです。 中竹 目の前で頑張っていること。毎日、振り返って学ぶこと。それが品質の向上につながっていると心から実感しているんですね。 山口 最初は不良品が本当に多かったんですよ。そこで、どうすれば不良品を減らす努力をしてくれるのかを考えました。結論は、「誰かが喜ぶ」ということを理解してもらうこと。だからエイチ・アイ・エスに企画を持ち込んで、お客さまをバングラデシュの工場にご案内するツアーを企画したんです。工場に大型バスが着いて、30人のお客さまが自社工場にやって来る。そこで初めて、「多くの日本人がiPhoneを使っているからポケットのサイズを変えよう」といった意見が工場から出るようになりましたし、お客さまに自社の製品が愛されていることを知って、振り返りと改善にかける時間が長くなったんです。また、このツアーは、「添乗員」として同行する日本のスタッフが現場をより深く知る機会にもなっているんですよ。 ■ビジョンと自分、現場と自分とのつながりが見えれば、人は変わる 中竹 海外と日本。目の前で頑張っていることとお客さまの喜ぶ顔、そして自分への評価。ビジョンと商品。「点」で存在するバラバラなものをつなげることが、経営者の大事な役割かもしれません。それを綿密にやっているところが、マザーハウスの強みです。 山口 確かに、「一直線で見えること」は、当社の強みかもしれません。たとえば、直営店のスタッフたちは、商品の説明だけでなく、バッグができるまでのすべてを語れる「ストーリーテラー」として頑張ってくれています。牛革の製造から、お客さまに購入していただくところまで、全部見える。それをやりがいにつなげなければもったいないと思っています。 中竹 逆に、つながらないとうまくいきませんか。 山口 そうですね。最初はデザインをしてくれる人を探していて、日本にいる方にきれいな絵を描いてもらいました。でもその通りにできることなんて絶対ないのに後から気がついて。結果的にモノを作るってそのプロセスを構築しないといけないんだって気がつきました。 マザーハウスの場合、1人で絵を描く仕事ではなく、工場のみんながデザイナーだと思ってくれるのがゴールなのです。品質は下げられません。いいデザインだとしても、大量のロットを工場で生産する過程で、品質が下がっていくものでは意味がありません。みんなの意見を取り込んで、工場のみんなが自分のアイデアだと思い込んで、一生懸命つくってくれるデザインにする必要があります。だとすれば、デザイナーというより、コミュニケーション業です。すると、自分の強みを活かしていかに貢献するか、という根底の部分がどうしても重要になります。私がデザインしたものをつくって、という、どこか上から目線の態度が見えると、現場の人は付いてきてくれません。 中竹 人材育成の世界では、スキル、知識、経験は教育できますが、態度を変えるのは難しいといわれます。マザーハウスの場合、ビジョンと自分、現場と自分とのつながりを持てないと態度は変わりませんよね。マザーハウスに限らず、優秀な駐在員を送っても、どこか上から目線の態度で、現地でいいチームがつくれないことがあるようです。 ■ 現場に入った瞬間、社長もメンバーも同じ目線の高さに 山口 バングラデシュに進出したのにうまくいかず、撤退する企業が少なくありません。一時はバングラデシュへの進出はブームでしたが、「ベンガル人は扱いにくい」と言って帰ってしまう。本当に向き合ったのか、と思うこともあります。 中竹 ゆとり世代は使えない、といった議論も同じです。目線を同じ高さにして、本気でつながりを持とうとしていません。山口さんの場合、バングラデシュの工場に行くと、誰が社長かわからないと言われるそうですね。 山口 それどころか、私の「職業」を入社して半年の社員に聞いたら、生産管理だと言っていました。別のスタッフは商品開発担当だと(笑)。ハサミを手に、誰よりもたくさん材料の革を切っている。工場に着いて、2時間くらいはリュックを背負ったまま。忘れてしまうんです。 中竹 社長としては組織構造上、強いリーダーシップを発揮しながらも、現場に入った瞬間にはメンバーシップに転換しています。社長であろうが工場スタッフであろうが、ものをつくる現場、売る現場では、全員が同じ目線に立つ「メンバー」という組織のあり方がマザーハウスでは実現されているんですね。 インタビュー後記 マザーハウスに見る 次世代のチーム像 学ぶ姿勢がもたらす、全員参加のメンバーシップ 中竹竜二氏 日本ラグビーフットボール協会 コーチングディレクター ■ 「フォロワーシップ」から「メンバーシップ」へ バブル崩壊以降の失われた20年からの回復を成し遂げるため、近年まで強いカリスマリーダーが求められていました。現場の強さが、高い経済成長を導いてきた日本にはそれがなじまない。当時から私はそう考え、優秀なフォロワーが組織のゴールに向かって自律的に動き、リーダーがそれを支える「フォロワーシップ」型組織の重要性を唱えました。 しかし、本来的に私が浸透すべきと思っているのは、リーダーとフォロワーのどちらが強い・弱い、どちらが上・下ということではなく、全員が同じ目線の高さで自らの強みを発揮し、ゴールを目指す「メンバーシップ型」の組織です。リーダーシップ型の組織を志向する日本企業に、「メンバーシップ」といってもなかなか理解できるとは思えず、リーダーシップの対極にある「フォロワーシップ」にまずはシフトしてほしいと考えました。 その瞬間、最も強みを活かすべき人が一歩前に出る フォロワーシップの重要性は、「自律型人材」という言葉とともに徐々に浸透してきたと思います。ここでいよいよ、私たちが志向するのは、メンバーシップ型の組織です。メンバーシップ型の組織は、役職名やポジションにかかわらず、全員が組織の目標に責任を持ち、自分がそのときどき、できることを考え、行動に移します。ときにはリーダーがフォロワーとなり、また、ときにはフォロワーの1人が組織を引っ張ります。明日、何が起こるかわからない。そんなめまぐるしい変化のなかで、さまざまな状況に対応するにあたって、誰の強みがそのとき最も輝くのかはわかりません。ですから、上下関係があることに意味がないのです。次世代型組織の1つの解は、メンバーシップが機能する組織なのです。 マザーハウスの現場は、まさにメンバーシップ型の組織といっていいでしょう。工場や売り場では全員が「メンバー」であり、上下関係はありません。社長である山口氏を含めた全員が、同じ目線の高さで現場に真摯に向き合っています。なぜ、このような組織ができたのでしょうか。 ■ 遠くの現場で起こっている問題でも、社員全員が「解」を探す まず、山口氏が、最初から戦略を決め、それを実行してきた経営者ではないということ。山口氏は、誰よりも「自分たちは新しいことをやっているのだから、正解はない」ということを知っています。自ら現場の真っただ中に入り、自ら課題を発見し、学んで、軌道修正をすることによって成果を挙げてきました。 そして今や、山口氏の「学び」の高速回転に、全員を巻き込んでいます。山口氏は、「正解はない」ことを前提に、現場で起こっていることと、社員一人ひとりの仕事というバラバラの「点」を、「牛革の製造から店舗でお客さまに手渡しするところまで」、国やポジションを超え、すべて見える化する努力によって「線」でつなぎました。 日本で商品が売れない。バングラデシュの工場で不良品率が高まった。たとえばこのような遠くの現場で起こっていることでも、今、このときの「正解」を全員が探そうとします。「まだ見ぬ新しい何か」を達成するために、山口氏と同じように、自ら課題を発見し、学んで、軌道を修正します。今、自分がこの場を引っ張るときなのか、誰かを支えるときなのか、メンバーとして何をなすべきかを考え、その役割を変えてゴールを目指しているのです。 Nakatake Ryuji_1993年早稲田大学人間科学部入学。4年時にラグビー蹴球部の主将を務め、全国大学選手権準優勝。97年卒業後、単身渡英。レスタ―大学大学院社会学修士課程修了。2001年三菱総合研究所入社。2006年早稲田大学ラグビー蹴球部監督に就任。2007年度から2年連続で、全国大学選手権制覇。2010年2月退任。同年4月、日本ラグビーフットボール協会コーチングディレクターに就任し、指導者の育成、一貫指導体制構築に努める。2012年度はラグビーU20日本代表監督を兼任。主な著書に『判断と決断』(東洋経済新報社)、『人を育てる期待のかけ方』(ディスカヴァー・トゥエンティワ ン)、『リーダーシップからフォロワーシップへ』(阪急コミュニケーションズ)、『挫折と挑戦』(PHP研究所)、『部下を育てるリーダーのレトリック』(日経BP社)など多数。日本におけるフォロワーシップ論の提唱者の1人。 *元記事は以下のリンクから読めます。 http://www.works-i.com/publication/works/works-web-special/nextage/山口絵理子氏(マザーハウス)
今回のGuest 湯浅 誠氏 社会活動家/法政大学教授 Yuasa Makoto_ホームレス支援活動などを経て、2008年末の年越し派遣村村長に。2009年から足掛け3年にわたり内閣府参与を務める。内閣官房社会的包摂推進室長、震災ボランティア連携室長などを歴任。政策決定の現場で、官民協働と民主主義の成熟の重要性を訴える。2014年より法政大学教授。 年越し派遣村の村長として注目を集めた社会活動家、湯浅誠氏。その後は内閣府の参与に就任するなど、社会問題の現場と行政の両面を知る希有な存在となった。1つの組織にとどまらず、数々のムーブメントを起こす湯浅氏に、中竹竜二氏がそのチームづくりとリーダーシップについて聞いた。 ■ 場づくりに欠かせない“テーマ設定”と“仕掛け” 中竹 湯浅さんはご自身の活動を、一言でどう表現しますか。 湯浅 社会活動家は、一言でいえば場をつくる人。経営者でも部署の課長でも、スポーツチームでも、仲間を増やして場をつくれば活動家です。僕はそのなかで、社会問題に関する場づくりをしているので、社会活動家というわけです。派遣村はもちろん、内閣府参与も立場の違う官僚のなかで仲間をつくって物事を進めるのですから、1つの場づくりでしたね。 中竹 極論すると、世の中のリーダーの目的は利益を挙げる、試合に勝つなど目的はさまざまだけれど、そこで生じる問題を解決するための場づくりをしているという点では共通している、と。ならば、湯浅さんのリーダーシップはすべての組織に当てはまります。場づくりでは、何を意識していますか。 湯浅 試行錯誤ですが、立ち上げ時のポイントの1つはテーマ設定。もう1つは仕掛けです。私がやっていることは、ある種、偏見の強い分野なので、いかに当事者や当事者以外の人に集まってもらうかがとても重要なんです。 中竹 たとえば、そこにすごいプロダクトがある、誰もが会いたいアイドルがいる……そうであれば人はそれに食いついてきます。でも、湯浅さんが取り組んでいる問題は、人の関心を引くのがかなり難しい。それでも関心を呼び、人を集めるそのノウハウは、マーケティングの領域のみならず、社員を仕事に向かわせることにも応用可能ではないでしょうか。 湯浅 1つは、よく見ること。たとえば“貧困”は、人を集めるためのテーマ設定でした。障がい者問題でいえば、権利条約や年金問題の優先順位が高い。ところが実際になかに入って、よく見て、話してみると、働く場所が限定的で低所得者が多く、生活苦がかなり深刻。それでも前面には出てきにくいんです。それは引きこもりなどの問題でも共通しています。異なる問題を“貧困”というテーマ設定でつなげれば、多くの人が集まる場をつくれると思いました。その人がどういうリアリティのなかにいるのかを見ないと、結び目が見えないのです。 ■ 濃厚なコミュニケーションの場を生む“いい炊き出し” 中竹 “つなげる”は、湯浅さんにとってキーワードですね。 湯浅 “つなげる”ことが、場づくりの仕掛けそのものなんです。ホームレス支援を例に取りましょう。私たちはホームレスの人たちのために週1回炊き出しをしていました。それに対して、「週1回くらいやっても、根本的な解決にはならない」という批判がありました。でも、そんなことは私たちもわかっている。炊き出しの目的は「ごはんをあげること」じゃないんです。私たちは炊き出しには“いい炊き出し”と“悪い炊き出し”があると思っていました。 中竹 どういうことですか。 湯浅 “悪い炊き出し”は、運営者側が調理して、ただ渡す。すると、ホームレスの人たちはただ受け取って食べるだけになります。そこには接点が生まれず、関係はあげる人、もらう人に固定化していきます。一方、“いい炊き出し”は、共同炊事。「人手が足りないから手伝ってください」とホームレスのおじさんに言えば、一緒になって調理して、ご飯食べて、片付けて、とやっていると3時間くらい話ができるし、調理の面では彼らから教えられることも多い。そこに違う関係性ができて、コミュニケーションが濃厚な場が生まれる。これが、仕掛けが重要、という意味なんです。 きちんと出会えば、触れて、知って、変わる 中竹 子どもたちをホームレスの人たちの支援に招いていましたね。意図的に呼んでいるんですか。 湯浅 呼びかけていました。中学生くらいになると、偏見を持つようになる。ホームレスの人が襲撃されて、年に1人くらいは亡くなっています。襲撃するのは高校生や若者が多い。そういう、加害者になってしまう若者たちを追っているジャーナリストに話を聴くと、その子たち自身、家に居場所がなくて、外でうさばらしをしている、という構図のようです。そういうことが起こらないように、出会いの場をつくりたかったんです。 中竹 子どもたちを呼ぶのは、それなりに大変ですよね。 湯浅 子どもたちは学校の先生に連れられてでないと来ません。しかも「怖い人なんじゃないか」など、いろんな想像をして来ます。でも、帰るときに必ず彼らはこう言う。「なんだ、普通の人じゃん」と。触れて、知って、変わる。これが大事なのです。 中竹 来てもらうために、どう口説くんですか。 湯浅 私たちが直接対応するのは先生ですが、もう、あの手この手ですよ(笑)。たとえば、私の経験とか。私の兄は障がい者なんです。それがよかったと思っています。私が通っていた学校は、健常者ばかりでした。小さい頃は、自分が通っている学校がすべてですよね。でも、私の場合、兄が障がい者だったので、障がい者のコミュニティとも接点があって、いろんな人がいるなあと、肌で感じていました。私が多様な人、物事に対して抵抗感がないのは、その経験が大きく影響しています。子どもたちにも、早い時期にそういう経験をして欲しい。そんなことを話したりしました。 ■ 思いを持つ個人と組織に必要な「つながりの作法」 中竹 仕掛けといえば、話題になったアイスバケツチャレンジはどうですか。 湯浅 良いと思います。社会の多くの人が今までまったく視界の外にあった問題に関心を持つようになる、という意味では一定の効果があります。ただし、あるレベルを超えると、そのことに批判的な人も含めて調整をしていかなければ物事が動かない。政策や法律、ルールづくりといった領域になると、多様な利害関係者を調整して形にし、維持・運営していくための組織力が必要になります。それを乗り越えられるかが社会活動の大きな課題ですね。 中竹 問題を提起する人を組織力が支援することで、大きなムーブメントになっていく。企業の変革と社会活動は、まったく同じですね。 湯浅 NPOや社会活動は、有機農業のようなものだと私は考えています。有機農業の耕地面積は、日本全体の農地の0.3%にすぎません。でも、同じ100円のキャベツならば、大半の人が、有機農法でつくられたキャベツを買うでしょう。シェアは小さいものの、人々の価値判断基準と行動を変えたんですから、社会的インパクトは大きいですよね。私たちの活動を見ても、NPOが雇用吸収力を持つかというとそうではない。でも、私たちが発信することを問題として政府や企業、個人個人が受け止めてくれたら、そこには大きな意義があります。しかしそれを動かしていくのは、やはり「組織」です。自治体や政府、企業などに働きかけ、協働しなければならない理由はそこでしょう。 中竹 企業の活動になぞらえると、さまざまなプロジェクトや新規事業、アイデアが出てきても、組織側がきちんと受け止めて支援しないと大きなムーブメントになりません。どうしたら、思いを持つ個人と組織がつながることができるのでしょうか。 湯浅 出会いには「作法」があります。それが不幸な出会いになると、「だから組織はだめなんだ」とか、「あいつら、なにやってるんだ」とか、お互いの気持ちがすれ違い、接点が見つけられません。NPOが被災地に行って、住民とトラブルになることがありますが、それもつながりの作法が下手なんだと思います。相手とつながろうと思ったら、相手の領分や役割を認め合うことが重要です。それぞれが「私はここまではやれる」と出し合って、皆がそれぞれ力を出し合っても手の届かない「穴」を見つける。そのうえで、その「穴」をどう埋めようかという話し合いをする。皆が「穴」を埋めるという同じ方角を向いた探求モードになれればベストです。「ここはそっちがやれ」と一方的に言ったり、囲い込みをしたりするようではうまくいきません。 ■ 場の維持のためには「聴く」主体的になってはじめて人は動く 湯浅 組織力のほかに、場を維持・運営していくために重要なことがあります。それは「相手の話を聴くこと」です。 中竹 僕自身、聴くことはチームマネジメントのなかで非常に重要な位置を占めています。湯浅さんの場合、「聴く」ことと「場の維持・運営」にはどんな関わりがあるんですか。 湯浅 私の場合、30代前半まで、人の話をまったく聴きませんでした。私がやりたいからやる。一緒にやりたいならば付いてくればいい。そんな風に考えていたんです。そのとき、私は大学院で研究員の卵でもあったので、社会活動も研究者仲間で議論しているノリでした。そしたら、周りから誰もいなくなって。それではダメだと気づいて、やり方を変えたのです。人の話を聴かずに、ただ強く発信して巻き込むだけだと、周囲の人は「あいつを手伝ってやっている」という意識にしかならず、不満も出やすい。話を聴いても不満は出ますが、こちらの問いかけによって本人の動機が熟していくので、主体的になれます。だから、持続のためには「聴くこと」が何より大事なのです。 中竹 誰もいなくなったとき、普通は違うところに原因を求めるものです。もっといいことを言えば、人は集まってくるのではないか、と思ったりはしなかったんですか。 湯浅 そのとき、どこかで読んだ本に書いてあったことを思い出したんです。現実社会では理論で打ち負かしても恨まれることしかない。物事を一緒にやるには、議論するのとは違うモードが必要。確か、坂本龍馬がそんなことを言っていたと。そういうことかなあと思いました。 中竹 ご自身のスタイルを変えたんですね。 湯浅 はい。考えてみれば、NPOに相談に来る人や、支援を受ける人に対するコミュニケーションと基本は一緒です。相談者に対しても、私が答えを言うのは簡単ですが、その人は私が出した答えの通りには動かない。すると、なんでそう動かないんだとこっちはイライラする。でも、結局は本人の腹に落ちないと、行動にはつながらないんです。 中竹 それはすごく大事なことですね。人はついつい教えたがります。 湯浅 こちらが請け負って問題を解決しても、本人の「生きる力」は増えていませんから。だから結局、問いかけて、考えてもらって、その人の話を聴くことが重要なのです。相談者にはそういう対応をしてきたのに、組織の仲間づくりではそうしていませんでした。それを同じにしただけで、時間はかかりましたが、うまくいくようになりましたね。 ■ 社会に場をつくるというプロフェッショナルリーダー 中竹 この連載のテーマは、次世代のリーダー、次世代のチームのあり方を模索していくことです。湯浅さんは組織のなかのリーダーというより、社会全体という大きなくくりで見たときに、場をつくるリーダーです。こういう人が社会に求められているのではないかと思います。 湯浅 ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです。 中竹 かつてリーダーには、「カリスマ性」が求められました。言い換えると、自分にしかできないことを多くつくればつくるほど、組織のなかで絶対的な存在になります。すると、みんなが言うことを聞かざるを得なくなる。すごい人がどんどんすごくなって、それによって上意下達のヒエラルキー型組織ができていきました。ところが最近は逆です。リーダーは、人にどんどん仕事を任せて、自分の仕事を少なくしていく。フォロワーたちの力に恃(たの)むことで、組織を成長させていく、というのが最近のリーダーシップ論の主流です。それでも、その思想には、1つの組織内で完結したリーダーシップという発想しかありません。湯浅さんの場合は、組織をどんどんつくって、どんどん離れて、またつくって、を繰り返す。ビジネスでもそういうやり方をする「プロフェッショナルリーダー」が出てきたら、組織が活性化するのではないかと思います。プロジェクトをつくって、仕事をしたら次の組織へ。そんな働き方も今後は一般的になりかもしれません。組織人になるのはいやだけど、場づくりで貢献できるという人はたくさんいますから。 ■ “場は質より量” 場が足りないと行き詰まる 湯浅 私自身は場をつくったら、なるべく早く人に譲って次に行きたいんですね(笑)。何か1つやると、そのなかから次はこういうことが必要なんじゃないか、といろいろ思いついてしまう。私は、“場は質より量”だと思っていまして。日本には圧倒的に“居場所”が足りない。1カ所しか居場所がないとほかに行けないから、こじれてもしがみつこうとして面倒なことになる。Aが合わなければB、Bが合わなければCと、もっと転々とできるぐらい場があったら、苦しむ人が減るはずなんです。 中竹 選択肢が多いことは、安心材料になります。 湯浅 ですから、量をまず増やそうと。50人全員にとっての理想的な場はつくれません。大事なのは、ここじゃないと思った人が、次に行ける社会です。 中竹 スポーツの世界でも同じです。日本では、スポーツは部活が中心。チームが合わず、退部、退会すると、その競技自体もやめざるを得なくなります。一方、海外では地域に多くのクラブチームがあり、あるチームに合わなければ別のチームに行けばよくて、競技は継続できる。場があり、そこに行き来があることは、人を育てる、人が育つという意味でも重要だと思います。 インタビュアー 中竹竜二氏 日本ラグビーフットボール協会 コーチングディレクター 湯浅さんは、問題の解決に必要な場を次々と立ち上げてきました。企業になぞらえるならば、問題のある部署に放り込まれ、解決の基盤をつくる人です。“個の強みを最大化する”ことは、確実にチームを強くします。立ち上げる強みと、それを維持・運営する強みは異なりますし、企業内にも“立ち上げ屋”や“問題解決型リーダー”は昔からいたはずです。課題山積の今こそ、それを1つの職務・職責として確立すれば、そこで力を発揮したい人が必ず出てくるでしょう。 あるいは、湯浅さんのような人が組織を超えて活動し、企業とコラボレートすることも、今後はあり得ると思います。プロジェクト型のリーダーは、組織のなかの人でなくてもいい。何かを生む、何かを形にするためのリーダーは専門職。リーダーを中で育てることだけでなく、外と提携することも真剣に考えなければ、素早く、成果を出せません。これはサッカーや野球、ラグビーの監督やコーチを国内外の他チームから招聘するのと似た発想です。 また、「つながりの作法」という話も印象的でした。企業内でも、とても重要です。変革しようとするとき、会社や部署にはダメなしきたり、文化が残っている場合があります。ただ、すべてを頭から否定すると、そこに慣れ親しんできた人は、自分自身を否定されたような気持ちになる。問題を解決するのは、人です。人に動いてもらうには、まず、話を聴く。そして、こちらの価値観を押し付けるのではなく、どこがダメなのかを一緒に考える。そんなスタンスが求められます。最初はうまくいかなかった湯浅さんが、場づくりをするなかでスタンスを変えていった、というエピソードが、つながりの作法の重要性を物語っていると思います。 そんな湯浅さんに、社会活動のモチベーションを問うと、「面白いから」と言います。使命感ではなく、です。人はある組織で認められると心地いい。でも、それを捨ててどんどん次に行きます。そのタフさは、「面白さ」が原点にあるようです。成果を出す人は、楽しんでやっている。それも、私たちの大きな学びではないでしょうか。 Nakatake Ryuji_1993年早稲田大学人間科学部入学。4年時にラグビー蹴球部の主将を務め、全国大学選手権準優勝。97年卒業後、単身渡英。レスター大学大学院社会学修士課程修了。2001年三菱総合研究所入社。2006年早稲田大学ラグビー蹴球部監督に就任。2007年度から2年連続で、全国大学選手権制覇。2010年2月退任。同年4月、日本ラグビーフットボール協会コーチングディレクターに就任し、指導者の育成、一貫指導体制の構築に努める。2012年度および2014年度からラグビーU20日本代表監督を兼任。主な著書に『判断と決断』(東洋経済新報社)、『人を育てる期待のかけ方』(ディスカヴァー・トゥエンティワ ン)、『リーダーシップからフォロワーシップへ』(阪急コミュニケーションズ)、『挫折と挑戦』(PHP研究所)、『部下を育てるリーダーのレトリック』(日経BP社)など多数。日本におけるフォロワーシップ論の提唱者の1人。 *元記事は以下のリンクから読めます。 http://www.works-i.com/publication/works/works-web-special/nextage/湯浅-誠氏
今月のGuest 未来の出版業界を牽引する 佐渡島庸平氏 佐渡島庸平氏は、講談社勤務時代、『ドラゴン桜』『宇宙兄弟』などの大ヒット漫画を世に出した。テレビアニメ化、映画化によって、それらの作品はさらに多くの人の心を震わせた。2012年10月に講談社を退職、コルクの設立に至る。同社は小山宙哉氏、三田紀房氏など人気作家を擁する作家エージェント会社だが、目指す先はコンテンツ業界の変革にある。どのような変革か。その発想を生んだ佐渡島氏とは、どのような人物か。中竹竜二氏が話を聞いた。 佐渡島庸平氏 Sadoshima Yohei_2002年講談社入社。『バガボンド』(井上雄彦)、『ドラゴン桜』(三田紀房)、『働きマン』(安野モヨコ)、『宇宙兄弟』(小山宙哉)などの編集を担当。2012年に講談社を退社し、コルクを設立。 ■「偉くなったらやる」は言い訳にすぎない 中竹 佐渡島さんは、講談社で次々とヒット作を出していらっしゃいます。外から見れば非常に充実していたように見えますが、なぜ退職したのですか。 佐渡島 決めたのは、『宇宙兄弟』の実写映画の仕事を一通り終えたすぐ後でした。この作品を世に売り出していくために、関連本を作って、映画、アニメを制作して、イベントを仕込んで、と、やっているうちに半年間休みなし(笑)。宣伝などの忙しさのピークが終わってほっとして2日間考えて、「ああ、辞めよう」と思いました。 理由はいくつかあります。1つは、そこまでやって、僕の想定よりも『宇宙兄弟』が売れなかったこと。あれこれ手を尽くしても、簡単に本が売れない。時代の変化をリアルに感じました。 そのときふと思い出したのは、堀江貴文さんにずっと前に言われた言葉でした。「今までは雑誌や本がたくさん出ていたから、白紙を埋めるために編集者が作家のもとに依頼に行った。今後はWebを含めて有象無象、作家が増えて、編集者より多くなる。だから、作家が優秀な編集者に編集してくれと依頼に来るようになる。つまり、作家エージェントの時代がやってくるから、早く辞めて、そうしたほうがいい」と。当時、僕は講談社が好きだったし、やりたいことができて自由。給料もいい。だから聞き流していたんですが、そのときはじめて「辞める」という選択肢と向き合いました。 中竹 「出版社」というモデルの枠から出ることを真剣に検討し始めた、ということですね。 佐渡島 そして、ちょうどその半年前、僕の友達が癌で亡くなってしまった。再々発で亡くなったのですが、再発後、一度回復したとき、彼が言ったことは「仕事がしたい」でした。「元気になって遊びたい」ではなく。 そのとき僕が気づいたことは、僕自身がもはや仕事を楽しんでいない、ということでした。たとえば世間的にはなんら問題ない企画でも、講談社的にNG、とかね。「世間的に問題があるんですか?」と噛み付いても、そんなロジックは通らない。当時僕は「自分が偉くなったらやろう」と自らを言い聞かせていましたが、彼が亡くなったことで、「偉くなる前に死ぬかもしれない」と思ったんです。そのとき僕は納得できないだろうし、「偉くなったらやろう」ということが、「今、挑戦しないことの言い訳であり、自分に甘えを許しているだけ」だと気づきました。 『もしドラ』の編集者が退職してベンチャーを起業したことも、頭にあったかもしれません。 ■大企業が持つ価値が、価値創出に対する社員の意識を低減させる 中竹 佐渡島さんは、自分を取り巻くさまざまな事象をつなぐことに長けていらっしゃいますね。今の話のなかでいうと、退職を決意して新しいフィールドに出た佐渡島さんの視点から、大企業で働く人をどのように見ますか。 佐渡島 大企業は、僕はある意味すごい仕組みだと思う。たとえば講談社が今日なくなったとしたら、困る人がたくさんいる。多くの社員、作品を出している作家をはじめ、印刷会社や編集プロダクションなどの取引先はもちろん混乱をきたすし、日本の文化のありようも、数年のレベルで影響があると思う。それが大企業の強さということです。だから、そこで雇用されている人は、頑張って働いても、働かなくても自動的に毎月給料が振り込まれます。 でも、それは創業者が、「自分は何者であるか」という価値を追求し、「存在しないと困る」ということを証明しようと努力した結果なのです。あらためて大企業で働く人が気づくべきは、「存在しなければ困る」という状態でずっとあるためには、本来的にはそこで働く人たちが前に進み続けなければならないことです。そうでなければ、緩やかに死を迎えてしまうんです。 ところが、大企業のサラリーマンは、自分が価値を出さなくても給料が振り込まれるというところから社会人人生が始まっている。だから、自分が価値を出すことに対して意識が薄い。 そんな偉そうに言っている僕も、講談社時代、それなりに価値を出しているつもりでしたが、入社以来ずっと減収だった会社を僕が辞めたとたんに10年ぶりの増収増益ですよ(笑)。僕がいないほうが、講談社は儲かる(笑)。でも、コルクはそうはいかない。僕が動かなくなったら、コルクという会社の入金は止まる。今後僕は、自分が自分として、そして、コルクという会社がなくなったら困る、という存在になるために活躍していかなければならないんです。 ■ 仕事を「自分ごと」化させるための「独立自由」という仕組み 中竹 大きな会社になればなるほど、そういう意識を持たせるマネジメントは難しいです。 佐渡島 どれだけ仕事を「自分ごと」化させるかがカギになります。小さな子会社をたくさん作って、若手を抜擢して社長にする仕組みを持っている会社がありますが、これは1つの方法ですね。ただ、これは会社がかなりの勢いで成長を続けないと維持できないモデルです。将来失敗するかもしれないことをやらない、という理由はないけれど、僕は違う仕組みを考えたい。 中竹 コルクで、「自分ごと」にする仕組みを考えているんですか。 佐渡島 1つは「独立自由」。社員が作家と懇意になって会社を作るならば、すぐに辞められる仕組みなんです。 中竹 それは、大胆ですね。利益の源泉である作家を奪われるうえに、競合が増えるわけですから。 佐渡島 競合が増えたほうがいいんです。日本に作家エージェント会社は、親族がやっている以外はコルクくらいしかありません。その状態だと、1つの産業として確立していないから、編集プロダクションと区別してもらえない。競合が増えて、僕らに編集者としての実力があれば、より高い値段がつくんです。だから、作家エージェントだらけになってほしい。 実際に、今、弁護士と話して、作家エージェントのあり方というか、立ち居振る舞いというか、理想的なルールをネットに公開して、多くの人が参入できるようにしようと思っているんです。 中竹 つまり、オープンソースということですか。 佐渡島 より実力があれば利益が増える。そういう状況になれば、実力を付けなければならないように追い込まれ、努力し続ける。組織が大きくなって誰かが独立すれば、またライバルが出てきて競って。そんな緊張感があってこそ、コルクが「存在し続けないと困る会社」になり得ると思います。 ■ 「後払い」から「前払い」へ課金システムを変えていく 中竹 かなりの「逆境マニア」ですね(笑)。普通は独占したほうが得と思うのではないでしょうか。 佐渡島 どんな視点でものを見るかだと思います。出版業界の市場規模が1兆7000億円、そして映画業界は2000億円といわれています。トヨタ自動車の売り上げが1社で20兆円超だと考えると、エンターテイメントはほんの小さな業界。でも、本当に小さいのか。多くの人はそう考えていません。それは、人の心に残るからでしょう。ただし、現在の出版業界を含めたエンタテインメントビジネスのモデルではこれ以上大きくならないし、作家も、そこに携わる人もハッピーにならない。それを大きく変えていこうというのが、本当の目的なんです。 中竹 どんなモデルを目指しているんですか。 佐渡島 今、大きな時代の変革期であることは言うまでもありません。「ものが売れなくなった」と先進国で言われて久しく、「いいものを作らなければ売れない」と多くの人が口にします。でも、実態は、「いいものを作っても売れない」時代なのです。すると、何がものを買う基準になるのか。それは、心理的に満足できるかどうか。満足したものにしか金を払わないということは、課金タイミングが「前払い」から「後払い」に変わっていくということであり、いいものを作っていけばいくほど、後払いのほうがより儲かる。ゲームをハードで売る会社よりも、ソーシャルゲームを展開する会社のほうが圧倒的に儲かっているのがいい例です。前払いモデルは、課金できるタイミングは一度だけで、しかも定額。しかし、ソーシャルゲームは、人の満足度曲線が上がっていけばいくほど、時間×金額の積分で、お金がきちんと取れるんです。満足度の超高い人がお金を払う仕組みは、理にかなっていますよね。 僕は、作家が作るコンテンツにもそれを適用できるように、業界を変化させていきたいと思っている。それが僕の挑戦であり、中竹さんの言う「逆境」に身を投じる1つの理由だと思います。 中竹 1社だけではなく、業界全体のルールを変えていこう、と。 佐渡島 そうです。音楽コンテンツはITを通じて配信されるようになりましたが、そのルールは音楽やミュージシャンのことをよく知る音楽業界ではなく、米国のIT業界によって作られました。だから、結果的に新人ミュージシャンが苦しむなど、ミュージシャンにとっては厳しいモデルが作られてしまいました。 米国の場合、ミュージシャンが多くいるニューヨークやロサンゼルスと、ITの集積地であるシリコンバレーが遠く離れている。それが1つの原因だったのかな、と。ところが日本は東京一極集中型で、東京のなかにIT企業も出版社などエンタメ業界もある。僕らはIT企業よりは作家の気持ちがわかりますから、僕らがITを学べば、優れたコンテンツが日本発で生まれやすくなります。日本でITとコンテンツが結びつく新しい仕組みを作ってしまうと、それが世界共通になって、世界中のコンテンツのあり方を変えていく可能性があるんです。 どんな仕組みがいいのか。それは僕が見つけてもいいし、僕に刺激を受けたライバルが見つけてもいい。とにかく、日本で生み出したい。そんな思いがあります。 ■ 会社の規模は、経営者が恐怖を乗り越えた数に比例する 中竹 逆境に身を置く理由は、ほかにもあるんですか。先ほど、「1つの理由は」とおっしゃった。 佐渡島 もう1つは、精神的にストレスがあったほうが自分にとっていいことを体験的に知っているからです。中学時代に親の仕事の都合で南アフリカ共和国に滞在したとき、大変な思いもしたんですが、後から振り返ると僕にとって貴重な経験でした。だから、2つの道があるなら、精神的にストレスがあるほうを選びます(笑)。 中竹 会社の経営においても、ストレスが多いほうがいい方向に進むだろうと思っている。 佐渡島 経営者が恐怖をいくつ乗り越えたかが、会社の規模を決めているというのが僕の持論です。ゼロから会社を立ち上げたときには、1億の投資は怖くない。そもそも、ゼロだから。ところが10億の会社になると、9億になってしまうのが怖くて1億の投資ができなくなる。特に、店舗を増やすというような現在の延長線上にあってほぼ確実にお金を生み出す投資ではなく、新しい挑戦のための投資をする恐怖を乗り越えられる経営者はほとんどいない。そういう意味で、ソフトバンクの孫正義さんやアマゾン・ドット・コムのジェフリー・ベゾスさんはすごい経営者です。 サラリーマンだった僕は、まず、そのポジションを捨てるという恐怖を乗り越えました。先に言ったように業界のルールを変えていこうとするならば、これからはもっと多くの恐怖を乗り越えていかなければなりません。孫さんやベゾスさんに恐怖心がないかというと、そうではないと思う。恐怖心のコントロール術に長けているのではないでしょうか。 ■ 緊張感と懐の深さが両立する組織を作るという挑戦 中竹 この連載のテーマは、「次世代のチーム」づくりです。経営者だけでなく、チームに参加する人全体が、恐怖心のコントロール術を身につけ、恐怖を乗り越えていく必要があると思いますか。 佐渡島 もちろん、経営陣はそうあるべきだし、コルクでは彼らと恐怖心の共有をしようとしています。以前は新卒の社員にもしていたんですが、それでは負担が重すぎることもわかりました。思い返せば、僕だって新卒のころは、ぜんぜんダメだったんです。何をするにも先輩の指示を仰いで、失敗もして。人には段階というものがありますから。 中竹 段階を踏んだとしても、コルクが存在しなくては困る会社であり続けるために、価値を出せる人材に育つかどうかを見極めることはできますか。 佐渡島 作家よりも社員のほうが見極めは難しいです。どんな仕事も才能と努力の掛け合わせ。作家はいい作品にするという同じ目標を目指して一緒に仕事をしますから、どちらも見えやすい。でも、社員とは作家ほど一緒に仕事をする機会はありません。優秀な人材でも、努力を続けられるかどうかはそう簡単にわからない。どんなトラブルでも、逃げずに向き合えるかどうか、ですね。 中竹 すごく緊張感のある組織ですね。 佐渡島 実は、そこもチャレンジです。緊張感は持っていたいが、懐も深くありたい。人にはライフステージというものがあって、育児や病気、親の介護などで仕事を緩やかにしなければならない時期もある。そういう人の人生を否定してはならない。本当は、社員自らの宣言によって、メーカー的な安定型給与体系、インセンティブ型給与体系など、いろんな意味で社員の選択肢が多い会社にしたい。ここは法律との絡みもあって、試行錯誤しているところです。 ◇ 学ぶことをやめたら、リーダーをやめなければならない 中竹竜二氏 日本ラグビーフットボール協会 コーチングディレクター 「競合が増えたほうがいい」という言葉に、とても驚かされました。それは決して強がりではないことは、インタビューを読んでいただければわかると思います。彼のこうした、常人を超えた発想はどこからやってくるのでしょうか。私はそれは、彼自身を取り巻く、あらゆる事象から学ぼうとする力から生まれるのだと思います。 「学ぶことをやめたら、教えることをやめなければならない」。これはサッカー・フランス代表元監督のロジェ・ルメール氏の有名な言葉です。チームを引っ張るリーダーは、類いまれなる学び手でなければなりません。特に、激変の時代こそ、です。変化を敏感にとらえ、それに対応するには、過去の成功体験をゼロリセットしなければなりません。 佐渡島氏のキャリアは、まさにそれを体現してきた軌跡です。入社当時、常に先輩の指示を仰がなければならず、自由度が低かった。この状況を変えるには、新連載を立ち上げるしかないと考えた。そして新連載を立ち上げたら、今度は「好きな作品しか担当したくない」と思い、新連載をヒットさせてそれを実現した。その作品が『ドラゴン桜』だといいます。その後も、部署を超えて社内のさまざまな仕事を担当できるようにするため、そして、やりたいと思ったプロモーション施策を全部実現するため、と、次へ次へと進んでいきます。その度に、過去の成功に安住せず、未来を見て、人や本、経験に向き合って、新しい学びを得ていくのです。 「学ぶことをやめない」佐渡島さんの周りには、実に面白いメンバーが集まっています。コルクを設立したとき、彼が担当していた作家たちが、彼の会社と契約を結びました。また、カリスマ編集者、カリスマライターが集まり、彼とともにコンテンツを生み出す次世代モデルづくりに力を尽くしています。 リーダー育成にはさまざまな要素がありますが、「学び続けよう」という発信が、まだまだ多くの企業に欠けています。同時に、佐渡島さんが歩いてきた軌跡のように、過去の成功体験をゼロリセットするような経験を積ませる仕掛けをしていく必要があるのではないでしょうか。 Nakatake Ryuji_1993年早稲田大学人間科学部入学。4年時にラグビー蹴球部の主将を務め、全国大学選手権準優勝。97年卒業後、単身渡英。レスタ―大学大学院社会学修士課程修了。2001年三菱総合研究所入社。2006年早稲田大学ラグビー蹴球部監督に就任。2007年度から2年連続で、全国大学選手権制覇。2010年2月退任。同年4月、日本ラグビーフットボール協会コーチングディレクターに就任し、指導者の育成、一貫指導体制構築に努める。2012年度はラグビーU20日本代表監督を兼任。主な著書に『判断と決断』(東洋経済新報社)、『人を育てる期待のかけ方』(ディスカヴァー・トゥエンティワ ン)、『リーダーシップからフォロワーシップへ』(阪急コミュニケーションズ)、『挫折と挑戦』(PHP研究所)、『部下を育てるリーダーのレトリック』(日経BP社)など多数。日本におけるフォロワーシップ論の提唱者の1人。 Text=入倉由理子 Photo=刑部友康 *元記事は以下のリンクから読めます。 http://www.works-i.com/publication/works/works-web-special/nextage/佐渡島庸平氏 (コメント) 少しサイト趣旨と外れるかなとも思ったのですが、仕事観や起業を考える上で参考になると思うのでアップしました。彼の試みは昨日放送されたNHK「プロフェッショナル仕事の流儀」でも特集されていました。興味ある方はそちらもご覧になるといいと思います。 http://www.youtube.com/watch?v=msvJmlSM2dY *おそらく動画は短期間で削除されるものと思うので気になる方はお早めに。